何を求めるのか
「すべてを他者のせいにして、怒りにまかせて当たり散らす。」
先週日曜日、そんな場面に遭遇してしまいました。
あまりに低次元な発想と、後先考えない幼稚な行動に背筋が凍り、
えもいわれぬ怒りがこみ上げました。
親として、スポーツを通じて子どもに何を学んで欲しいと思っているのか、
親として子どもに何を求めているのか。
やはりどこかはき違えているとしか思えません。
矛先を向けられた人はもちろん、大人も子どもも
その場に居合わせたすべての人が
驚愕し、困惑し、不快に感じる事件となりました。
子どものスポーツは教育だと思っています・・・
ただ、スポーツである以上必ず勝敗がついて回り、
結果、優劣もはっきりしてきます・・・。
そして、スポーツの現場では勝者はいつでもどんな時でも正義です。
試合に勝てる、勝てない。
ゴールを決められる、決められない。
先発メンバーに入れる、入れない。
セレクションで選ばれる、選ばれない。
本当に高学年になるといろいろシビアです・・・が
シビアだからこそ見える部分、気付かされることも多くあります。
その一つが親の子どもへの関わり方でしょうか。
我が子がシビアな場面に立って、悩んでいたり苦しんだりしている時、
親としてどうやって関わっていけばいいのか。
スポーツを通じて得られる経験は、
何にも代えがたい宝になると考えています。
楽しいこともうれしいことも、苦しいこともつらいことも悲しいことも、
すべての経験から学ぶことは、子どもが成長するための大切な糧になると。
ただし、どんなにすばらしい事を経験させても、
意識がずれていたら意味は半減してしまうのではないでしょうか。
せっかくの経験値を無駄にすることなく、子ども自身の糧となるように
導いてやるのは親の役目だと思います。
遭遇する日々の出来事は、スポーツに限らずどんなに小さな事でも
その子の成長に関わるエッセンスになります。
子どもが、成長するために日々受け取る栄養を、
彼らがきちんと消化して自身の中に取り込めるように
常に見守り、間違っていたら修正をかけてやるべきだと思うのです。
子を持つ親として、大切な我が子に何を求めるのか。
自身のエゴを我が子に押し付けてはいないか。
自身が我が子の手本となるような正しい大人であるか。
感情にまかせた発言、行動を取ったりしていないか。
人として発展途上の若い魂を導いていくためには、
まず親が正しい価値観を持つことが大切なのではないでしょうか。
「親」としては未熟であると自覚し、常に客観的に自身を省みることで
我が子と共に成長していこうという覚悟が必要なのかもしれません。
姿かたちばかりは立派になっても、中身が伴わなければ全く意味がないのです。
そして、最終的に犠牲になるのはいつでも子どもです・・・
本当に悲しいです。